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チョーサンの神戸新聞入選俳句

 私が俳句を始めたのが8年前、神戸シルバーカレッジの俳句クラブに誘われてからです。卒業後も「クリスタル会」で毎月1回楽しんでいます。平成18年から神戸新聞の俳句欄(現代俳句)に投句し、今も続けています。私にとって俳句は自然との関わりと自分の気持ちを表現できる、素晴らしいものです。

(新聞に掲載された日) (  俳    句  )     ( 詠んだ場所 )

H 24,4,23 春光に羽を拡げる大架橋       明石海峡大橋

H 24,3,5  湯豆腐の笑う一瞬掬いけり      自宅

H、24,2,20 大根の抜けぬ大地の重さかな     自宅(昔の体験)

H、24,1,16 大仏の厚き胸板小春かな       兵庫大仏 

H、23、11,7 秋の風丸呑みしている鬼瓦      須磨寺

H、23,10,3 缶ビール一味違う妻の留守      自宅

H、23,9,26 兄の忌に風鈴二つ鳴り響く      金沢(元、兄の家)

H、23,8、22 噴水と薔薇の競演須磨離宮      須磨離宮公園

H、23,7,18 飛廻る我が子追ふ声夏木立     須磨一の谷

H、23,5,16 津波去り春月写す水溜り    自宅

H、23,4,18 シューズの紐固く結びて四温晴れ    自宅

H、23,3,28 初空を松風渡る須磨の浦     須磨の浦

H、23,1,17 敦盛像視線集めて散紅葉     敦盛塚

H、22,11,22 生き様を晒けし古希の星月夜     東北

H、22,10,25 逆さ富士モーターボートの滅多切り   富士五湖

H、22,8,16 ケータイに残る指あと梅雨深し    自宅

H、22、6,21 色褪せて戦の濱の落椿     須磨浦公園

H、22、5,24 ならまちの老樹息づく春落葉     奈良

H、22、3,6 鮊子や一期一会に旅立ちぬ    明石の魚の棚

H、22、2,15 呆然とただなすがまま初日の出    土池の山

H、21、12,21 琵琶の音に絡まる波や須磨の秋     須磨海岸

H、21,11,23 秋天に花びらシャワーウエディング   北野町

H、21、9,24 奥穂高ゴンドラ過る夏燕     奥穂高

H、21、6,22 日時計の誤差も許せる春うらら    明石公園

H、21,5、18 肩車はしゃげる吾子も花の客     夙川

H、20,9,15    炎天を来し人誰も無口なり    神戸の街

H、20,6,16  熊野路や神仏宿る木下闇    熊野古道

H、20,5  のどけしやそろりと動く河馬の耳    王子動物園

H、20,4   仏像のまなざしゆるみ春近し    須磨寺

H、20,2,18 小包の隙間を埋める庭の柚子    自宅

H、20,1,14 足摺の海の円さよ秋高し    高知

H、19,11   鰯雲思わず妻を振り返り    近隣公園

H、19、6 春耕の貸農園は鍬一本    西神中央

H、19、4 大試験天神さんの絵馬重し    綱敷天満宮

H、19,2,26 銀杏散る斑模様の瓦屋根    須磨寺

H、19,1,15 凛と立つ万葉歌碑や冬にいる    中央区の神社

H、18,11 鬼瓦銀杏黄葉に飲み込まれ    須磨寺

H、18,9 闇の海蹴つて飛び出す花火かな     神戸港

H、18,6 若葉風入りて藍那の農歌舞伎    藍那

H、18,4,27  イカナゴの釘煮を送る間柄    自宅

# by ssgyoshi | 2012-04-23 20:11 | 俳句 | Trackback | Comments(1)

延暦寺と坂本の町のアラカルト

☆今回は「KSC10期 れきたんクラブ」の行事でで比叡山(根本中堂)と坂本の町(旧竹林院・日吉大社・滋賀院門跡・慈眼堂)を探訪し、そこで学んだものを記します。
1、比叡山 延暦寺 根本中堂
 標高848m 延暦寺(総称)という寺は無いものの1700haの山中に東塔(薬師如来)・西塔(釈迦如来)・横川(よかわ)(聖観音菩薩立像)という三塔があり、これらを中心とする三塔十六谷と呼ばれる地域に150程の堂塔があります。本堂とも言われる根本中堂は東塔にあり、785(延暦4)年伝教大師最澄が入山し、一乗止観院を建てたことに始まります。比叡山は京都の北東に当たるため、鬼門を守る国家鎮護の道場として栄え、延暦寺(この名前は最澄が亡くなった翌年に嵯峨天皇から賜った)は天台宗の総本山であり、高野山金剛峯(ぶ)寺と共に平安仏教の中心をなしました。法華経を中心とした天台教学のほか、密教・禅・戒律・念仏等も行われ、仏教の総合大学の様相を呈し、平成6年 ユネスコの世界文化遺産に登録されました。
根本中堂での坊さんの説明は面白かったですね、薬師如来の薬指(右手の薬指を曲げている)、薬指同士は離れにくくエンゲージリング…。そして指の急所たたきで15分のトイレ我慢が出来る等。
2、最澄と関係僧侶
最澄は12歳で近江の国分寺に入り、20歳の時に東大寺で具足戒を受け、国家公認の僧となます。わずか3か月で出世栄達の道を捨て郷里に近い比叡山にこもります。俗化し墜落する南都仏教に飽き足らず、法華経を中心とする新しい大乗仏教(従来の仏教が出家者中心・自利中心であったのを小乗仏教として批判し、紀元前後頃からインドに起こった改革派の仏教で、自分たちを菩薩と呼び、自分を犠牲にして他人に利益を与える利他中心の立場をとった仏教)を目指しました。
804年、遣唐使船で渡唐し天台教学の教えを受ける(8か月半で帰国)、帰国後は奈良仏教と徹底して論争し天台法華宗の正当性を主張しました。
822年、戒壇の許可を得ないうちに56歳の生涯を閉じました。ところが7日後に嵯峨天皇から許可が下り、延暦寺の戒壇院は5年後に建立、没後44年、時の清和天王から伝教大師の名が贈られました。
弟子の慈(じ)覚(かく)大師(だいし)円仁(えんにん)838年入唐、智証大師円珍も入唐(853~858年)、慈恵大師良源(912~985年)、明雲天台座主(1115~1183年)…清盛の時代
その後は慈(じ)眼(げん)大師(1536~1643年)天海天台座主…信長~徳川の時代
   平安末期~鎌倉時代 法然(円光大師)1133~1212年(浄土宗)
栄西(千光国司)1141~1215年(臨済宗)
慈円(慈鎮和尚)1155~1225年(愚管抄の作者)天台座主
親鸞(見真大師)1173~1262年(浄土真宗)
道元(承陽大師)1200~1253年(曹洞宗)
日蓮(立正大師)1222~1282年(日蓮宗)
一遍(円照大師)1239~1289年(時宗…浄土教の一つ)
3、清盛と延暦寺
祇園社を支配下に置く延暦寺は鳥羽院に訴えを起こし、明雲天台座主の声に僧たちが
神輿(当時は神仏混交)を出し始めます。後に弁慶と呼ばれるようになる鬼若が京に向かい、清盛の矢が神輿に刺さるという話があります。
4、信長と延暦寺
また戦国末期に織田信長が京都周辺を制圧し朝倉義景・浅井長政らと対立すると、
延暦寺は朝倉・浅井連合軍を匿うなど、反信長の行動を起こしました。1571年延暦寺の僧兵四千人が強大な武力と権力を持つた為(仏教政治腐敗)戦国統一の障害になるとみた信長は、延暦寺を焼き討ちしました。これにより延暦寺の堂塔は炎上し、多くの僧兵や僧侶が殺害されました。
坂本城は比叡山焼き討ちの後、明智光秀に近江国滋賀郡が与えられ、織田信長の命によって京と比叡山の抑えとして築城しました。光秀は軍を京都に進め信長の宿所、本能寺を急襲、信長、信忠父子は自刃しました。
本能寺の変の後、光秀は坂本城に入城、安土城や近江の諸城を接収し、近隣土豪や自らの与力大名衆、反信長勢力に協力を呼び掛けましたが、細川藤孝、筒井順慶など頼みとしていた武将たちの援軍が得られず、その間に毛利氏との講和をまとめ備中高松城から転進した羽柴秀吉と、山城の山崎付近で激戦となりました(山崎合戦)。敗れた光秀は勝龍寺城に籠り、夜間に坂本城を目指して間道を撤退中、伏見郊外で土民に襲撃され落命しました。光秀の甥、秀満(光春)は安土城でその報を聞き、坂本城をめざして撤退を開始しましたが、陸路は羽柴軍に抑えられていたため、琵琶湖の浅瀬を騎乗で渡り(左馬助の湖水渡り)、坂本城に入城しましたが、羽柴軍の武将、堀秀政らに包囲され、秀満は明智家の重宝を目録とともに寄せ手に渡した後、光秀の妻子らを刺殺、城に火を放って自らも自刃しました。落城した坂本城は後に修復されて、丹羽長秀に与えられ1586年、大津城築城にあたり破却されて、用材は大津城に移され、坂本城は廃城になりました。
5、最澄と空海
  最澄は最初から日本国代表として選ばれた超エリート、空海は金とコネで無理矢理ねじ込んで804年に一緒に唐に渡っています(別の船)。このとき、空海(806年)は真言密教を最澄(3か月後)は天台の教えを持ち帰ります。
 日本に帰国した最澄は大スポンサーである桓武天皇に報告した所、天皇は天台宗には見向きもせず、最澄が持ち帰った密教(天台の教え以外に立ち寄った密教の一部)に夢中になりました。桓武天皇はこの時期、自ら死を命じた同母弟の早良皇太子の祟りに悩まされノイローゼになっており密教のもつ呪術に期待したのです。 最澄の方はちょっと時間の合間に仕入れた密教を国家の正式行事とするのだから、当惑したのではと思われます。
天台宗を完成させるために密教を取り入れようとする論理肌の最澄、若いころから山野で修行し呪術や神道も自分のなかに取り入れ、修学と修行の両方を必要とする天才肌の空海。
密教の経典を最澄が空海から借り続け、ついに密教の中枢経典である「理趣釈経」を借りる段階で空海は堪忍袋を切ってしまったのであります。
6、坂本の町
 坂本は788(延暦7)年、比叡山に最澄が開いた延暦寺により隆盛し、中世に入ると、下坂本は湖上交通の港として、各地の山門領からの年貢米などが荷揚げされ、また京都への物資の中継基地として、繁栄した。山麓の上坂本は、僧3千人と言われた山頂の延暦寺への物資補給、天台宗一門の事務管理の中枢機能を担い、行政都市としての性格とともに、延暦寺や日吉大社の参拝客の為の門前町として商店が賑わい、家数は2千から3千、人口は上下坂本を合わせて数万を有する大都市であった。
7、旧竹林院
   比叡山のふもとにある大津市坂本は、門前町として古来から大いに栄えてきました。一帯は国の重要伝統的建造物郡保存地区に選定されています。なかでも里坊は、歴史の街・坂本ならではの町並みをつくっています。里坊は延暦寺の僧侶の隠居所で、今も数多く残されています。旧竹林院は、こうした里坊のひとつで邸内には主屋の南西に妬く3,300㎡の庭園が広がり、2棟の茶室と四阿(あずまや)があります。八王子山を借景にした庭園は、地形をたくみに利用しながら滝組と築山を配し、四季折々の風情をかもし出しています。
 ガイドさんの説明で、奈良の仏教はダメで(時代的なものか?)ここの最澄の大乗仏教が一番のように言ってたのが癪だった。空海の真言宗(高野山・東大寺)の話は一切なしでした。
8、日吉大社
日吉大社(ひよしたいしゃ、元は「ひえたいしゃ」)は、滋賀県大津市坂本にある神社。俗に山王権現とも呼ばれている。日本全国に約2000社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮であり、旧社格は官幣大社。中世には二十二社の下八社のひとつとされました。
西本宮と東本宮を中心に、400,000m²の境内を持ち、猿を神の使いとして崇拝することで知られています。  比叡=比叡山=延暦寺  山王= 山王権現=日吉(ひえ)神社・日枝神社の祭事
9、滋賀院門跡(しがいんもんせき)
  天台宗。もともと京都の北白川にあった法勝寺(ほうしょうじ)を、江戸時代初期に現在地に移し、のち後水尾(ごみずのお)上皇から滋賀院の号を賜わりました。江戸時代末まで天台座主(ざす)となった皇族代々の居所で、滋賀院門跡と呼ばれています。
  本尊に薬師如来を祭り周りに四天王が守っています、極力根本中堂を真似たものを置いています。
10、慈眼堂(じげんどう)と天海(慈眼大師)天台座主
  慶長12年(1607年)から比叡山南光坊に住み、織田信長の比叡山焼き討ち後の復興に尽力した天海の廟所です。 江戸時代初期の禅宗様を基本とする建物で、堂内には木造慈眼大師坐像(国の重要文化財)を祀り、 境内には天海によって高島市から当地に移された鵜川四十八体石仏のうちの13体の阿弥陀如来座像のほか、 歴代天台座主の墓、桓武天皇の御骨塔などがあります。
  時代は下り、盛栄を誇った比叡山延暦寺も織田信長の焼き討ちにあい、一時その宗勢に陰りが見えましたが、江戸時代になり徳川家康の懐刀と云われた天海(慈眼大師)によってその勢力を盛り返し、特に寛永寺(天台宗で東京の上野公園…徳川将軍家の菩提所)は西の比叡山に対して東叡山と呼ばれ、その影響力を日本全土に及ぼしたのです。天海は駿府城にて始めて徳川家康のまえで論議を開きました。この時、家康は68歳でしたが、天海に感銘され「もっと早く天海に逢いたかった。」と言われたそうです。 1613年(慶長18年)78歳のとき、日光山の住職となられた天海が生前、家康に仕えたのは7年間で、秀忠、家光に仕え、各将軍の家庭教師・政治顧問・相談役・黒衣の宰相として徳川のために尽力されました。
                                                       完

# by ssgyoshi | 2012-04-20 20:30 | 日々の感動 | Trackback | Comments(0)

私の歴史ガイド・講演の仲間

私のボランティア歴史ガイド又は講演を一緒に楽しんだ仲間(☆;ガイド,★;講演)

☆ 平成24年4月15日(日) 9時30分~10時30分(ガイド、他1名)
 コース 須磨寺
 仲 間 吹田市  自治会 120名
 感 想 桜が満開で暖かかった。
☆ 平成24年4月8日(日)  14時~16時(ガイド、他1名)
 コース 須磨浦公園(敦盛塚・句碑他)
 仲 間 奈良 香芝市 40名
 感 想 桜・日曜日 一年で一番混雑していました。16時になっても駐車待ちの車が道路に並んで いました
☆ 平成24年4月1日(日)  11時~12時(ガイド、他2名)
 コース 須磨寺
 仲 間 京都の現代俳句 50名
 感 想 憧れの俳句の大先生に会えた、沢山笑って頂きお話も出来た、感激! 
☆ 平成24年3月30日(金) 9時30分~12時30分
 コース 須磨浦公園、ロープウェイ往復、電車で須磨寺駅、須磨寺
 仲 間 大学の友達 11名
 感 想 全国から集まられ楽しい話題があった。 
☆ 平成24年3月27日(火) 14時~15時 (ガイド他3名)
 コース 須磨寺
 仲 間 JTB 防府 年金 145名(バス4台)
 感 想 須磨寺で4グループは難しい、実質30分位の案内
☆ 平成24年3月20日(火・祝) 15時~16時
 コース 須磨寺
 仲 間 とよなか 21名(オール男性)
 感 想 彼岸の中日 源平の梅満開
☆ 平成24年3月14日(水) 9時30分~15時30分
 コース (小型バス)湊川神社~禅昌寺~萩の寺・那須神社・北向八幡宮~那須与市の墓~妙法寺         ~須磨パティオ(江戸ソバ昼食)~多井畑厄除八幡宮~ほんがんさん~松風村雨の墓~鏡の井~鉄人28号
 仲 間 いなみ野 シニア 28名
☆ 平成24年3月10日(土) 9時30分~14時30分
 コース 西落合福祉センター(30分間説明)~旧西尾邸~須磨寺(昼食)~頼政薬師~現光寺~綱敷き天満宮(解散)
 仲 間 ニュータウン 16名
☆ 平成24年2月25日(土) 13時40分~15時40分 (ガイド、他1名)
 コース バス 敦盛塚・戦の濱碑・須磨寺
 仲 間 丹南市 郷土史 40人
☆ 平成24年2月10日(金) 10時~12時
 コース 須磨寺~鉄人28号
 仲 間 奈良 友の会 20名
☆ 平成23年12月11日(日) 8時45分~10時45分
 コース バス 現光寺・須磨寺・須磨浦公園(敦盛塚)
 仲 間 長野市りらく 25名 
☆ 平成23年12月3日(土) 13時~14時
 コース 一の谷坂落とし場所~安徳帝内裏跡~戦の濱~重衡捕われの松跡~須磨寺
 仲 間 広島 ウオーキング 10名
☆ 平成23年12月1日(木) 9時30分~11時30分 (ガイド、他1名)
 コース シーパル須磨~関守稲荷~現光寺~須磨寺~重衡捕われの松跡~JR須磨駅
 仲 間 大阪市 カレッジ 36名
☆ 平成23年11月30日(水) 10時~15時
 コース JR鷹取駅~近代須磨東コース(離宮公園レストランで昼食)~須磨寺商店街
 仲 間 いなみ野 シニア 20名
☆ 平成23年11月26日(土) 13時~15時
 コース 須磨寺・敦盛塚
 仲 間 兵庫県 国際交流 20名
☆ 平成23年11月14日(月) 14時40分~15時40分
 コース 須磨寺
 仲 間 姫路市 バスツアー 12名
☆ 平成23年11月13日(日) 11時~12時
 コース 須磨寺
 仲 間 静岡県人 33名
☆ 平成23年11月5日(土) 9時30分~14時30分
 コース 西落合福祉センター~名谷駅(トイレ)~南落合~広畑橋~弘法の井戸~妙法寺(トイレ)~那須神社・北向八幡宮~明光寺(萩の寺)~那須与市の墓~
禅昌寺(解散)
 仲 間 ニュータウン 30名
☆ 平成23年10月22日(土) 13時30分~15時30分 (ガイド、他1名)
 コース 一の谷 
 仲 間 南須磨公 30名
★ 平成23年7月16日(土) 14時~16時 (講演者、他1名)
 表 題 「仏像の見分け方」
 仲 間 区民センター 70名
★ 平成23年6月19日(日) 10時~12時
 表 題 「ニュータウンの歴史」
 仲 間 白川 50名
☆ 平成23年6月13日(月) 10時~12時30分 (ガイド、他1名)
 コース 須磨寺公園から須磨寺までの案内(探訪と観光)
 仲 間 カレッジ8 55名
☆ 平成23年6月4日(土) 10時~12時
 コース 鉄拐山 
 仲 間 京都市 1名
 感 想 源平合戦の霊があるのでしょうか?
☆ 平成23年5月31日(火) 9時30分~12時30分 (ガイド、他1名)
 コース 須磨パティオ~須磨寺他
 仲 間 ニュータウン 100名 
☆ 平成23年5月30日(月) 9時50分~14時30分
 コース JR須磨駅⇒須磨寺⇒神戸迎賓館(昼食)⇒須磨離宮⇒山陽電鉄・月見山駅
 仲 間 近鉄 30名
☆ 平成23年5月26日(木) 10時20分~11時20分 (ガイド、他1名)
 コース 須磨寺
 仲 間 大阪ツアー 50名
☆ 平成23年4月24日(日) 10時~12時
 コース 山陽須磨浦公園駅(集合)~敦盛塚~ロープウェイ~展望台~旗振り山~一の谷
~安徳帝内裏跡~戦の浜碑(解散)
 仲 間 茨木市 3名
☆ 平成23年3月27日(日) 10時~12時30分
 コース 西落合~太山寺
 仲 間 ニュータウン 15名
☆ 平成23年3月25日(金) 10時~15時30分
 コース JR鷹取駅北口広場 ⇒ 鈴木よね邸跡 ⇒ 岡崎邸跡 ⇒ 武庫離宮跡地(昼食) 
 ⇒ 西尾邸 ⇒ 須磨寺 ⇒ 智慧の道 ⇒ 赤灯台 ⇒ 住友別邸
 仲 間 カレッジ10歴 60名 
☆ 平成23年3月8日(火) 13時15分~15時30分
コース 村上帝社 → 須磨関守稲荷神社 → 現光寺 → 重ひらの松
→ 智慧の道 → 須磨寺 → 山陽須磨駅:解散
 仲 間 淡路 県民 40名
☆ 平成23年3月7日(月) 10時~16時 (ガイド、他1名)
 コース JR須磨駅→敦盛塚→芭蕉蝸牛句碑→須磨観光ハウス・花月(昼食)→
ロープウェイ→鉢伏山→旗振山(坂落としのルート)→安徳天皇内裏跡→戦の浜碑
→平重衡とらわれの松→須磨寺(境内散策+宝物館+屏風廃館など)
 仲 間 JRジパ 100名
☆ 平成23年3月3日(木) 14時20分~15時20分
 コース 須磨寺
 仲 間 JT 名古屋 40人
☆ 平成22年12月21日(火) 10時~12時 下見
 コース JR鷹取駅~近代須磨東コース~住友別邸
 仲 間 カレッジ 10期 10人
☆ 平成22年12月12日(日) 8時40分~11時
 コース 現光寺~須磨寺~離宮公園
 仲 間 長野市りらく 25名
☆ 平成22年12月4日(土) 14時~17時
 コース 須磨寺~智慧の道~現光寺~戦の濱碑~安徳帝内裏跡
 仲 間 岸和田 カレッジ 10名
☆ 平成22年12月3日(金) 15時30分~16時30分
 コース 須磨寺
 仲 間 名鉄 和歌山 31名
★ 平成22年11月26日(金) 13時30分~15時30分 (講師、他1名)
 表 題 「尾崎放哉と須磨」
 仲 間 南須磨公民館 15名 
☆ 平成22年11月24日(水) 10時~12時
 コース 山陽須磨寺駅~須磨寺
 仲 間 いなみ野 俳句 20名
☆ 平成22年14日(日) 13時30分~ (ガイド、他3名)
 コース 横尾~妙法寺~那須与一の墓~Uターン
 仲 間 須磨区役所 横尾 30名
☆ 平成22年11月7日(日) 10時~14時
 コース 須磨浦公園~ロープウェイ~一の谷~須磨寺
 仲 間 創生塾 OB 20名
☆ 平成22年11月4日(木) 15時~16時
 コース 須磨浦公園~須磨寺
 仲 間 西区北別府 2名
☆ 平成22年10月31日(日)10時~15時
 コース 敦盛塚~ロープウェイ~一の谷~安徳帝内裏跡~須磨浦公園(昼食)~関守稲
荷~現光寺~須磨寺
 仲 間 市島 スポーツクラブ 40人
☆ 平成22年10月15日(金)10時~12時
 コース JR須磨駅~定例コース~須磨寺
 仲 間 大船渡市 2名
★ 平成22年10月7日(木) 13時30分~14時30分
 表 題 「源平合戦と須磨」
 仲 間 高尾台 20名
☆ 平成22年10月2日(土) 9時50分~14時
 コース 西落合地域福祉センター~離宮公園~須磨寺
 仲 間 西落合 20名 
☆ 平成22年9月26日(日) 10時~13時
 コース JR須磨駅~村上帝社~関守稲荷~現光寺~重衡捕われの松跡~須磨寺~旧西尾   
     邸~須磨離宮公園(旧岡崎邸茶室…昼食)
 仲 間 創生塾 12期 20名
☆ 平成22年9月9日(木) 10時~13時 下見
 コース JR須磨駅~松物語コース
 仲 間 兵庫 余暇 3名  
☆ 平成22年6月17日(木) 9時30分~ 下見
 コース 須磨浦公園~敦盛塚~・・・須磨寺
 仲 間 山南町自然 3名
☆ 平成22年5月25日(火) 10時30分~15時30分
 コース JR須磨駅~須磨寺~旧西尾邸(昼食)~須磨離宮~JR須磨駅
 仲 間 近鉄② 30名
☆ 平成22年5月20日(木) 10時30分~15時30分
 コース JR須磨駅~須磨寺~旧西尾邸(昼食)~須磨離宮~JR須磨駅
 仲 間 近鉄① 30名
☆ 平成22年5月19日(水) 13時~15時
 コース 須磨寺~・・・須磨天神
 仲 間 西区、学園東町 25名 
☆ 平成22年5月16日(日) 10時~12時
 コース 村上帝社~関守稲荷神社~現光寺~須磨寺
 仲 間 高槻市 10名
☆ 平成22年5月14日(金) 10時30分~14時30分
 コース JR須磨駅~現光寺~須磨寺~離宮公園(昼食)~松風村雨堂~菅の井~綱敷天満宮。
 仲 間 尼崎ウオーキング 30名
☆ 平成22年4月24日(土) 15時15分~16時15分 (ガイド、他1名)
 コース 須磨寺
 仲 間 放送大学 研究会 40名
☆ 平成22年4月1日(木) 11時~12時 (ガイド、他1名)
 コース 須磨寺 
 仲 間 芦屋川カレッジ 50名
☆ 平成22年3月23日(火) 10時~12時 下見
 コース 須磨浦公園~須磨散策
 仲 間 神戸市中央区 6名
☆ 平成22年3月11日(木) 9時30分~11時 (ガイド、他2名)
 コース 須磨寺(ガイド終了後一弦琴観賞)
 仲 間 須磨区の中学生 136名
☆ 平成22年3月7日(日) 15時~16時
 コース 須磨寺~現光寺~須磨浦公園
 仲 間 大津市の芭蕉・義仲 6名
☆ 平成22年3月5日(金) 13時~15時
 コース JR須磨駅~現光寺~須磨寺
 仲 間 三田市の親子連れ(お母さんが盲人)
 感 動 お母さんに心打たれる
☆ 平成22年3月2日(火) 10時~12時 下見
 コース JR須磨駅~村上帝社~関守稲荷~現光寺~重衡捕われの松跡~須磨寺~須磨離宮公園~松風村雨堂~菅の井前田家~綱敷天満宮
 仲 間 兵庫県のふれあいウオーク 2名
★ 平成22年2月24日(水) 10時~12時 (講演者、他1名)
 表題  「須磨北部の開発」
 仲 間 北須磨文化センター
☆ 平成22年2月21日(日) 9時30分~12時
 コース 須磨浦公園~一の谷~須磨寺
 仲 間 長崎県大村市 1名
☆ 平成21年12月24日(木) 9時~
 コース 須磨浦公園~敦盛塚~芭蕉句碑~鉢伏山~一の谷坂落とし~安徳帝内裏跡~関守稲荷神社。
 仲 間 阪神の街中散策同好会 20名
☆平成21年12月13日(日) 8時40分~10時40分
 コース (バス) 現光寺~須磨寺~須磨浦公園
仲 間 長野市 りらく 14名
☆平成21年12月10日(木) 10時~12時
コース 板宿~禅昌寺~萩の寺~那須与一の墓(昼食・解散)
仲 間 塩谷柏台 パール 20名 
☆平成21年11月29日(日) 13時5分~13時50分
 コース 山陽須磨駅~須磨寺
 仲 間 三木市志染 14名
☆平成21年11月14日(土) 12時30分~14時50分
コース 須磨寺~綱敷天満宮~敦盛塚
仲 間 倉吉文化財 32名 
☆平成21年10月30日(金) 10時~15時
 コース JR須磨駅~須磨浦公園~ロープウェイ~鉢伏山~…丘~リフトで帰る
 仲 間 視力障碍者 30名
 感 想 初体験で仲良くなれた
★ 平成21年10月29日(木) 14時~14時50分
 表 題 「須磨寺案内」
 仲 間 グリーンリーフ 40名
 感 想 初体験 パワーポイント良かった
☆ 平成21年10月22日(木) 14時20分~15時30分
 コース 須磨寺
 仲 間 浜松南高 42名
☆ 平成21年10月3日(土) 14時30分~17時
 コース シーパル須磨~須磨海岸~現光寺~須磨寺~須磨離宮公園
 仲 間 エルダーホステル 30名
☆ 平成21年9月26日(土) 13時~14時
 コース 須磨寺
 仲 間 和歌山 詩吟 40名
 感 想 源平の庭での剣舞の舞は感動的
☆ 平成21年9月10日(木) 9時30分~10時30分
 コース 須磨寺
 仲 間 外人・日本人の小学生 
 感 想 日本の子供が通訳していた
☆ 平成21年9月4日(金)15時10分~16時10分
 コース 須磨寺
 仲 間 かんおんじ市民カレッジ 23名
☆ 平成21年8月22日(土) 9時30分~12時30分
 コース ロープウェイで一の谷コース~電車で須磨寺駅~須磨寺
 仲 間 潮見台の付属中学 4名
☆ 平成21年7月26日(日) 10時~12時
 コース JR須磨駅~定例コース~須磨寺
 仲 間 デスティネーション 15名
☆平成21年6月16日(火) 8時40分~13時 (ガイド、他2名)
 コース 敦盛塚~安徳帝内裏跡~現光寺~須磨寺
 仲 間 南落合小 90名
☆ 平成21年6月2日(火)
 コース フィルドワーク
 仲 間 南須磨公
☆ 平成21年4月10日( ) 13時15分~15時15分 (ガイド、他1名)
 コース 須磨寺~現光寺~関守稲荷~須磨海岸
 仲 間 宝塚 シニア自然大 45名
☆ 平成21年4月9日(木) 10時~12時
 コース JR須磨駅~定例コース~須磨寺 
仲 間 高砂市 25名
☆ 平成21年3月18日 9時~9時30分
 コース 須磨寺 
 仲 間 三木市 MKS 30名
☆  平成20年11月27日 10時~12時
コース JR須磨駅~関森稲荷~現光寺~須磨寺
 仲 間 大阪市 4名
☆平成20年11月11日(火) 9時40分~12時 (ガイド、他2名)
 コース JR須磨駅~定例コース~須磨寺
 仲 間 神戸製鋼 東播 89名
☆平成20年11月1日(土) 13時30分~15時30分
 コース 須磨寺
 仲 間 横尾児童 30組
☆平成20年10月23日(木) 14時~15時
 コース 須磨寺
 仲 間 太子町 老 34名
☆平成20年9月27日(土) 12時30分~14時50分 (ガイド、他3名)
 コース 現光寺~須磨寺~須磨離宮公園
 仲 間 神戸 観光 70名
☆平成20年8月28日( ) 13時50分~14時40分 (ガイド、他2名)
コース 須磨寺
仲 間 愛知県 退職 109名
☆平成20年7月21日(月) 9時45分~14時
 コース 山陽須磨浦公園~観光コース①
 仲 間 東京都文京区 2名
☆平成20年6月1日( ) 9時20分~10時20分 (ガイド、他1名)
 コース 須磨寺
 仲 間 徳島県 俳句 60名
☆平成20年5月25日(日) 14時~16時
 コース 花月と須磨浦公園近辺
 仲 間 長野県高校の同窓たきざわ 8名
☆平成20年4月17日( ) 11時~12時
 コース 須磨寺
 仲 間 長岡京市 ガイド 7名
☆平成20年4月6日(日) 14時20分~15時20分
 コース 須磨寺
 仲 間 神戸市灘区 倫理 20名
☆平成19年10月24日(水) 10時~14時
 コース 須磨浦公園~須磨寺
 仲 間 コープカルチャー 明石
☆平成19年10月18日(木) 13時45分~14時45分
 コース 須磨寺
 仲 間 大阪府立大 同窓 10名
☆平成19年9月26日(水) 14時~15時 (ガイド、他1名)
コース 須磨寺
仲 間 カレッジ 垂水 46名
☆平成19年9月24日(月) 10時~15時30分 (ガイド、他に1名)
 コース 須磨浦公園~ロープウェイ~鉢伏山~鉄拐山~おらが山~栂尾山~横尾山~妙法寺駅
 仲 間 スポーツクラブ 25名
 感 想 途中脱落者あり
☆平成19年9月14日( ) 10時~11時 (ガイド、他1名)
 コース 須磨寺
 仲 間 大阪老人大学 35名
☆平成19年9月10日(月) 10時30分~11時30分
コース 須磨寺
仲 間 加古川 公民館 25名 
☆平成19年3月31日(土) 13時~17時
 コース 須磨浦公園~敦盛塚~ロープウェイ~一の谷コース~関守稲荷~現光寺~須磨寺~村雨堂
 仲 間 山口県 4名

# by ssgyoshi | 2012-04-15 12:29 | ボランンティア | Trackback | Comments(0)

春の高山祭と高遠桜の旅 平成24年4月13日~14日

 高遠桜はあいにくまだ咲いておらず、蕾のままだった。鶴太郎の日本画展示があり(800円)楽しませてもらった、特に着物に描いた桜は満開だった。
 また、14日の高山祭は小雨の為、山車の勢揃いは無いもののほとんどの山車を見せて貰う事が出来た、先に見せて貰った「飛騨高山まちの博物館」は無料でとても良かった。からくり人形などは実物を見て変身はビデオをで拝見する事が出来た。
# by ssgyoshi | 2012-04-15 08:30 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

台湾の旅 平成24年2月12日~15日

親日的で食べ物もおいしく、少し違った中国文化がありました。

# by ssgyoshi | 2012-03-20 08:49 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

私のこうべまちづくり会館等での水彩画展示作品

 平成23年春 離宮公園の菖蒲

 平成23年秋 上高地の山荘

 平成23年秋 ニュータウンの一角

 平成23年春 布引の滝

 平成22年春 離宮公園の薔薇

平成22年夏 須磨区役所前のエマ像

 平成22年夏 神戸市バス

 平成22年秋 神戸ドック

    平成21年春 北野町 風見鶏

 平成21年夏 奥須磨公園

     生成21年夏 赤灯台

    平成21年秋 鉄人

 平成20年春 相楽園

 平成20年夏 須磨寺

 平成20年秋 太山寺
# by ssgyoshi | 2012-01-30 10:43 | スケッチ | Trackback | Comments(1)

その他 新聞・雑誌・大会の賞又は掲載

   平成21年7月   ・闇の海蹴つて飛び出す花火かな    ネット 黛まどか 入賞
   平成22年3月6日 ・鮊子や一期一会に旅立ちぬ     ホトトギス明石大会 佳作 
   平成24年1月27日・小春日の足湯に並ぶ膝小僧   ジパング倶楽部 2月号 掲載
                             (図書券1000円分頂く)
# by ssgyoshi | 2012-01-28 09:02 | 俳句 | Trackback | Comments(0)

私の歴史講座「与謝蕪村と須磨」

「須磨学」発表資料                          平成24年1月21日
             与謝蕪村と須磨
                              
はじめに
  須磨は古来から俳句と大きな関わりを持っています。多くの歴史を抱え江戸時代には1688年
 に松尾芭蕉が來所し、その約100年後には与謝蕪村が、また明治28年には正岡子規が須磨に来て います。私はこの「須磨学」でも、以前に「須磨の俳句」・「尾崎放哉と須磨」等を紹介させて頂 きました。そこで今回は、須磨に句碑のある有名な2句「笛の音に波もより来る須磨の秋」「春の 海終日のたりのたりかな」を残した与謝蕪村を取り上げてみたいと思います。
1、歌枕としての須磨
  「須磨」とは、神戸市南西部の海岸の地。白砂青松の須磨浦に臨み、明石海峡を隔てて淡路島に
 対する。古来、風光明媚を以て明石と併称。月の名所。また、古関跡。在原行平流謫(るたく)地。 源平古戦場。源氏物語の巻名(須磨に流謫した光源氏の生活を描く)。筝曲の一つ、八橋(やつは し)検校(けんぎょう)(寛永・1624~1644頃活躍)作曲の組歌等を通して、歌枕として活用され ています。
2、与謝蕪村とはどんな人物か
  藤田真一氏(関西大学文学部教授)の言葉を借りると「蕪村という人は、画業を世過ぎのなりわい とする一方、言葉を縦横に操る俳諧の世界に遊んだ。その絵は、当時流行し始めていた写生とは無 縁のふうを見せている。また、その俳諧は、明治の時代になって正岡子規らが言い立てたような写 生調の俳句とは別趣の味わいを持っている。表現された絵も句も現実ありのままには遠く隔たりが あり、この世の俗塵(ぞくじん)を脱して、想像の境地にはばたくものであった。蕪村の作品どれを とっても俗より発して、雅にいたる品性をそなえていると言ってよい。親しみと優雅さの両様が味 わえるゆえんである。蕪村の作品に触れて、やすらぎを覚え、愉悦(ゆえつ)にふけり、おかしさに 笑い、あるいは懐かしさに浸る事がある。たしかに、蕪村はいっときの清涼の心地に誘ってくれ 
 る。さらに良い事には蕪村絵画の展覧会にいつまでいても見飽きが来るという事はない。」として いる。また、正岡子規は蕪村の句業の魅力を「積極的美・客観的美・人事的美・理想的美・複雑的 美・積極的美」と表現しています。
3、与謝蕪村は須磨にいつ来たのか
  明和3年(1766)秋、妻と幼い子を京に残して、讃岐に旅立つ。その途次、彼はわざわざ須磨 に 立ち寄ったようです(旅行直前に愛弟子召波(しょうは)にあてた手紙および高弟几董(きとう) の句稿から)。また、夜半亭を継承した明和7年以降、蕪村が兵庫に赴いた事が記録にうかがえる のは安永6年(1777)の4月と、翌安永7年(1778)の3月、2回、同じく几董や他の弟子 と同道してのものですが、須磨に行ったという記事は見えません。しかし几董の俳句「須磨寺や軒 のしのぶに菫かな」から春、須磨寺に寄ったのは安永7年の折(前回の12年後)であった可能性 が高いと思われます             
                        (藤田真一氏の「蕪村と須磨」より)
須磨の全景       蕪村像   
4、俳句「笛の音に波もより来る須磨の秋」について 
 ① 須磨寺の句碑
  句碑は源平の庭の前にあり、この句は「蕪村句集」所収の句です。当時から広く愛唱された有名 なもので、俳句は山形県酒田市の本間美術館蔵「蕪村自筆句稿貼交屏風」から、署名は京都角屋も てなしの文化美術館蔵(蕪村筆うき巣帖序文)より模刻し、平成18年10月に源平の庭修理に合 わせ建立されています(以前のものは昭和59年春建立で、下部に収容しています)。
 尚、蕪村は須磨寺で次の俳句も詠んでいます。      
       「西須磨を通る野分のあした哉」     
       「月今宵松にかへたるやどり哉」


 ② 山形県酒田市本間美術館 「蕪村自筆句稿貼交屏風」の当句該当箇所
    
  上の屏風には蕪村自ら書いた詞書「須磨寺にて」が書かれています。
  この写真は尾形仂(つとむ)氏の書籍「蕪村自筆句帳の研究」から引用したものです。
 ③ この句の成り立ち
   藤田真一氏の見解によると、「詞書を見る限り紛れもなく須磨で詠まれた句である、しかしさ  まざまな角度からの推定によると1770年9月26日の月並み句会の席上、『名所浦』とい   う、蕪村が引き当てた探題のもとに詠まれた句であろうと考えられている。この推定が正しいと  すれば、蕪村は須磨へ行ったから句を作ったというのでなさそうである。あるいはその数年前の  巡歴の感激を回想しながらこの句を詠んだのかもしれない。」
 ④ 俳句の解説例
 「須磨寺」:真言宗上野山福祥寺
 「笛の音」:平敦盛が所持していた青葉の笛(平家物語では小枝の笛)、幻想のうちに聞く「笛の       音」であろうか。
 「波もより来る」:能の名曲「松風」から引用(「よる」は「波の寄る」と「夜」の掛詞)されて        いるかとも言われるが、ここは素直に「波が寄ってくる」で良いのでは。
 「須磨の秋」:句会が9月なので季語の秋を入れたのは当然と思われるが、蕪村が須磨では、芭 
        蕉・行平・源氏の君を思い浮かべたのに違いない(…かかる所の秋なりけり等)。 「須磨の秋」とはこのような秋の深い哀れを受け継いだ言葉を想像しての事と思われる。
5、俳句「春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな」について
 ① 須磨浦公園丘の句碑   
  句碑は、山形県酒田市の本間美術館蔵「蕪村自筆句稿貼交屏風」から模刻し、高さ1.8メート 
  ル、幅1.5メートル、厚さ1メートル、重さ約5トンのひょうたん形の「どろかぶり」という仙台  石で、速水史朗氏の彫刻により、昭和59年4月26日建立されました。また、この句碑は須磨寺  正覚院の三浦真厳住職が関係者に働きかけて実現したものです。
   句碑         解説碑 
 ② 山形県酒田市本間美術館 「蕪村自筆句稿貼交屏風」の当句該当箇所
  
  ここには詞書がありません。これも尾形仂(つとむ)氏の書籍「蕪村自筆句帳の研究」から引用。
 ③ 尾崎康工 安永2年(1773・8)「俳諧金花伝」の当句該当箇所
   この書のみが「須磨の浦にて」と詞書を付けています。富山県立図書館のネットより引用。
 ④ 暉峻康隆(早稲田大学名誉教授)氏の除幕式(昭和59年4月26日)での講演
  蕪村が46歳(1761年)頃、初めてこの句を発表したころはまだ俳人としては無名だった。 
 「須磨浦にて」という詞書きは後に別の俳人が書き加えたものだが、蕪村の後援者が灘と兵庫にい たため、この辺にもよく来ていた。この句に最もふさわしい場所だ、と講演しています。
 ⑤ 藤田真一(関西大学文学部教授)氏の見解
  次の「金花伝…1773年編」以前に書かれた書にはどちらも詞書が無い。
 「俳諧古選」1763年刊 蕪村と同門の友人嘯山(しょうざん)の編
 「其(その)雪(ゆき)影(かげ)」 1772年刊 蕪村の高弟几董の編 
 尾崎康工は何によって、この前書を付したのだろうか。あるいは編者のサカシラなのだろうか。蕪 村が須磨の浦に遊んだ最初の機会は、1763年よりも少し後の事であった。その一方で、その時点 で仮に行ってなくとも、このような詞書があっても差し支えない、大事なのは、この句に「須磨の 浦にて」という舞台設定がふさわしいかどうかであろう。この句を理解するには困難な所は一つも ない。また、「須磨の浦にて」という詞書が、蕪村の意図を正確に伝えるものかどうかは定かでは ない。蕪村は、どこか特定の海浜ではなく、日本の海の何処にでもあるいわば普遍的な春の景を詠 もうとしたのかもしれない。けれども須磨の浦に立って見る、春の陽光に照らされながら静かにう ねりを描く海面は、まことに「ひねもすのたりのたりかな」であるにちがいない。 
 ⑥ 俳句の解説例
  「終日(ひねもす)」:一日中。春の一日(冬の短日に対し永き日)であることが情緒をかもし出            している。
  「のたりのたり」:「のたり」は広辞苑によると「ゆるやかにうねるさま」で、その繰り返し。            擬態語を大胆にかつ直截に用いた所がこの句の評価。
  「かな」:終助詞で感嘆の意味に使われ、「…だなあ」と前の言葉(今回は副詞の「のたりのた       り」)を強調している。よって、柔らかい春のひざしを受ける緩やかにうごめく水        面、その単調さが一日中続いている事でしょうか。
 6、与謝蕪村略年譜
 (和暦) (西暦)(年齢…数え年)
 享保 元年 1716 1 摂津国東成郡毛馬村(現大阪市都島区毛馬町)に生まれる。
   20年 1735 20 このころまでに、郷里を離れ江戸に下る。
 元文 2年 1737 22 夜半亭早野巴人(はじん)(宋阿)俳諧を師事、日本橋本石町に内弟子と             して住む。
             初号「宰(さい)町(ちょう)・宰鳥」。
 寛保 2年 1742 27 巴人死去。以後関東一円を遊歴、また奥州にも赴(おもむ)く。
 延享 元年 1744 29 宇都宮で歳旦帳を編集。はじめて蕪村の号を披露する。
    2年 1745 30 結城の早見(はやみ)晋(しん)我(が)死去、追悼詩「北寿老仙をいたむ」             を捧げる。
 宝暦 元年 1751 36 8月、上洛。
    4年 1754 39 丹後の宮津下向。浄土宗見性寺(けんしょうじ)に滞在。
    7年 1757 42 9月、帰洛。しばらくして与謝氏を名乗り、また結婚する。
 明和 3年 1766 51 6月、三菓社句会開始。9月、讃岐に赴く。
    5年 1768 53 4月、帰洛。ただちに 三菓社句会を再開する。以後、烏丸四条下がる                付近に居住。このころ画号「謝春星」「謝(しゃ)長庚(ちょうこ                 う)」。
    7年 1770 55 3月、宗匠(そうしょう)立(りつ)机(き)。同時に夜半亭二世を襲名。
    8年 1771 56 8月、池大雅との合作「十便十宣図」(国宝)を描く。
    9年 1772 57 冬、夜半亭第一撰集「其(その)雪(ゆき)影(かげ)」刊行。
 安永 2年 1773 58 秋、連句集「此ほとり」、第二撰集「あけ烏」を刊行。
    5年 1776 61 4月、洛東金福寺境内に芭蕉庵の再興を発企するとともに、写経社会を
             結成。4月13日、池大雅死去、享年54。秋、第三撰集「続明烏」刊              行。冬、娘くの結婚。
    6年 1777 62 2月、春興帖「夜半楽」刊。集中に「春風馬提曲」所収。4月以降「新              花摘」執筆。5月、くの離婚。また弟子大魯大坂を退去して、兵庫に              転居。
    7年 1778 63 3月、几董とともに兵庫に遊ぶ。11月、大魯没。このころから画号「謝
             寅」を用いて、名作を多く描く。また数々の「奥の細道図」を手掛け               る。
    9年 1780 65 冬、弟子几董との両吟歌仙集「ももすもも」刊。
天明 元年 1781 66 5月、芭蕉庵竣工、記念句会。
   2年 1782 67 3月、吉野へ花見。夏、撰集「花鳥篇」を刊行。
   3年 1783 68 3月、名古屋の暁台が主催する芭蕉100回忌取越句会に出座。9月、宇治
            田原に遊ぶ。初冬、病臥。12月25日未明逝去(せいきょ)。
4年 1784   1月、金福寺に埋葬、追悼集「から檜葉」刊。12月、几董撰「蕪村句集」刊。
7、参考文献
「須磨寺 -歴史と文学―」の「蕪村と須磨」 藤田真一    1987年
「蕪村」    藤田真一  岩波新書            2000年                 
「須磨寺と碑・本」  大本山須磨寺 塔頭 正覚院      1995年
           (正覚院代表役員 住職 三浦真厳)
「金花伝」   藤田康工  富山県立図書館所蔵(ネットより)1773年
そのほか「蕪村自筆句稿貼交屏風」「蕪村全集」「金花伝」等 

# by ssgyoshi | 2012-01-28 08:23 | 俳句 | Trackback | Comments(0)

巨大サボテンに花が咲く

 平成23年10月3日(月) 朝
 2,3年前に友達から巨大サボテンを頂来ました、昨年の夏の暑さで3本の茎が伸びました、そして今年は初めて花が咲きました。感激です。


# by ssgyoshi | 2011-10-04 08:23 | 日々の感動 | Trackback | Comments(1)

阿修羅像

話題の阿修羅像を見物した時の感動です

                                    平成22年3月27日
                                  
    「奈良の阿修羅像に逢ってきました」
                                       チョーサン
 3月19日待望の阿修羅像に逢うことが出来、その歴史と感動を綴ってみます。
阿修羅はインドの神々の中心であるインドラ(帝釈天)と戦い続ける敵役でしたが、帝
釈天には勝てなかったのです。その後釈迦の教えにより仏教の守護神となり、天竜八部衆の一尊に加わりました。この美しい阿修羅像からは闘争を好む悪神だったとは創造できませんが、仏教でいう「六道」では(天上・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)と人間以下の存在とされています。阿修羅は釈迦に会い懺悔して仏を守る神となりこのような姿になりました。厳しい戦闘の場面を「修羅場」というのはこれに由来しているようですね。
日本では平城遷都(710)の際、光明皇后(聖武天皇の妃)が母の菩提を弔うために興福寺の西金堂に多くの仏像を安置(734)しました、その中のひとつが阿修羅像であり、仏師・将軍万福の造像、画師・秦(はたの)牛(うし)養(かい)の彩色と伝えられています。
阿修羅像は三つの顔と6本の腕を持ちながら絶妙なバランスで、見る人を魅了する直立
した左右相称の姿に敬虔(けいけん)な意思を感じさせます。上半身は裸でありながら腰周りの裳(も)は優
雅さを漂わせています。
本来この阿修羅は怒りと忍耐から悟った後の表情とされていますが、今回私が阿修羅像の前に立った時の感想は、その異形の姿にも関らず眉を寄せて遠くに視線を送る眼差しに、少年から青年へと成長する時の若者を感じました。苦悩からの脱却と新しい希望に満ちた表情にも見えました。この興福寺の阿修羅像は天平彫刻の永遠の傑作と言われています、何年後にか又逢いに行くことを約束し奈良の町を後にしました。
 〇 春の風阿修羅に逢ふて身軽なり
 〇 ならまちの老樹息づく春落葉

# by ssgyoshi | 2011-09-02 09:42 | 日々の感動 | Trackback | Comments(0)

歴史観光案内 「太山寺案内」手持ち資料

 太山寺は神戸市西区ですが、須磨ニュータウンのお客様のご依頼がありご案内をしました、その時の資料です。

                            平成23年3月27日
           太山寺とその周辺探索
                                 チョーサン
1、西区の歴史と太山寺
  西区は垂水区と共に古代から播磨国の東端の明石郡に属していて、神戸市に合併 するまでは明石の街と結びつきの強い所でした。一方先史時代、明石人は旧石器時 代(縄文の前)の人骨だと考えられていますが、西区の各地では縄文時代(前1万年 ~前4世紀)の土器や石器が見つかっています。また、西区の低地に弥生時代(前8 世紀~3世紀)の遺跡が沢山発見されています。やがて古墳時代になると明石国(古 事記・日本書紀)を支配した豪族は玉津や五色塚古墳などを築いたものと思われま す。古代に入り、平安時代になると近江寺(きんこうじ)・太山寺・如意寺等の立 派な寺院が、明石川や伊川や櫨谷川の谷の奥に建てられました。鎌倉時代には九条 家の神戸庄等の荘園もありました。
  中世になると平清盛も神戸にやってきますが、源平合戦も終わり鎌倉時代になる と西区はいっそう開発が進み経済が発達しました。交通も発達して、兵庫の津から 鵯越を通って三木方面に至る道路が押部谷を横切り明石川沿いには海辺と三木地方 を結ぶ人の行き来も盛んになりました。近江寺・性海寺・太山寺等は、自衛のため に僧兵を持つようになりました。14世紀になって後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒そうと すると、1333年に西播磨の赤松則村(円心)が挙兵しました。天皇の子・護良(も りよし)親王が太山寺の僧兵に反幕府勢力として赤松勢を応援するように命じた令 旨が、今も太山寺に伝わっています。南北朝時代、赤松氏は足利方(北朝)に味方 して勢力を拡大しました。これに対し南朝方の新田義貞一族の金谷兵庫助は太山寺 等を味方に付けましたが、赤松勢に敗れます。赤松勢はやがて摂津も押さえます  が、将軍と対立し滅びます。関が原の戦の後、播磨は姫路城主・池田輝政の領地と なりました。
  江戸時代の明石藩主
    1617~小笠原忠真
    1633~松平康直―光重
    1639~大久保忠職
    1649~松平忠国―信之
    1679~本田政利
    1682~松平直明―・・・―直致
2、太山寺の歴史
  太山寺は鎌倉時代から室町時代にかけて隆盛を誇った名刹であります。藤原鎌足 の長男、定恵和尚の開山で、716(霊(れい)亀(き)二)年、その孫宇合(うまかい) (不比等(ふひと)の子)が堂塔伽藍を建立したと伝えられています。宇合(うまか  い)が明石浦摩耶谷の温泉で療養中、夢の中に薬師如来が現れ、その教えに従い、七 堂伽藍を整備し、薬師如来の尊像を安置したといわれています。元正天皇の勅願寺 になります。阿弥陀さまは西方極楽浄土の守り神、薬師さまは東方薬師浄瑠璃世界 の守り神におわします。当寺には両方のお堂がセットです。
  太山寺の衆徒は、建武の新政の時(1334年)は、大塔宮(おうとうみや)護良(も りよし)親王の令旨(りょうじ)をうけ、鎌倉幕府討伐のために赤松則村(円心)の軍 勢に加わり都の北条氏を攻め、軍功を上げました。寺の東の背後の山上に、砦(とり で)があった太山寺城址が有りました(今は確認未定)。その時の大塔宮令旨及び注 進状(国重文)が現在も所蔵されています。この頃寺運は最盛期を迎え、南北朝時 代には支院41坊(元禄十六年に16坊)・末寺8箇所・末社6社を持ち、更に僧兵   (500人程とも言われています)も養っていました。しかし、その後の戦などによる 興亡・浮沈は著しく明治四年には5坊、現在は龍(りゅう)象院(ぞういん)・成就  院・安養院・歓喜院・の4坊のみとなっています。今の所在地周辺は「太山寺風致 地区」として自然景観が保護されていて原生林が残されています。「ひょうごの森 百選」
3、仁王門(国重文)
  仁王門(創建は鎌倉時代末期か)は他所(地下鉄の伊川谷駅付近か)に有ったも のを現在の所に移築している。建築当初は3間1戸2層の堂々たる門であったが、移築 (室町の後期)の際に上層部を撤去し、軒回りも縮小して現在の形になっているこ とが、昭和28年の解体修理工事で確認された。金剛力士像(玉眼)は手に金剛杵(し ょ)(煩悩を破砕し菩堤心を現す)を持って仏法を保護する神、甲冑(かっちゅう)  (丁髷(ちょんまげ)あり)を付けて勇猛の相をなす。半裸の力士形に作られていま す。
4、太山寺磨崖不動明王(神戸市指定史跡)
 鎌倉時代後期、弘安年間(1278~1288)兵庫県下最古の磨崖仏は伊川の岩山(6×4m)ほどのやや平坦に像高さ175cmの不動明王立像が立っている。憤怒(ふんぬ)相の像は迦楼羅炎光背(かるらえんこうはい)を背負い両目は開き、牙は向かって左が上、右が下を向いている。右手に宝剣、左手に羂索(けんさく)(一端に金剛杵「バジュラ」の半形を付け、他端に鐶(かん)をつけた5色の糸を撚った綱)を持っている。この像の下に渕がある、その昔、行場としていた為に不動明王を刻んだものと思われる。
5、安養院庭園(国指定名勝)
 安土桃山時代、八葉蓮華と賛えられる三身山を借景として作庭された、枯山水の書院前庭で京都にある砂庭式枯山水ではなく、石組みで表現した枯池式枯山水である。書院は北区にあった江戸時代中期の茅葺民家二棟を移築し連結したもので、景色に溶け込み静かなたたずまいを見せている。
  一般公開 1月1日~1月3日  4月26日~5月5日
6、成就院庭園(県指定文化財名勝)
 江戸時代後期は文化年間、天一により作庭されたという枯山水で枯池式と築山式の特徴を併せ持つ、三身山の原生林と成就院阿弥陀堂を借景にしている。建物は1958年焼失し近年再建されている。庭門と表門の間に前庭がある。
7、本堂(国宝…建物では神戸随一)
 1285(弘安8)年2月に焼失したが、1300年頃には再建されたものと思われる(和唐折衷様式)。内陣は本尊の薬師如来(脇侍に四天王)、その側面と背面の脇陣と礼拝をする外陣(げじん)に区切られている。(密教寺院の本堂形式)、外部には蔀(しとみ)戸(と)(防御の働きあり)が用いられている。1964年の解体修理で瓦葺から銅版葺になった。また本堂前の片隅には息遊(そくゆう)軒(けん)(熊沢蕃山で江戸時代前期の陽明学者)の遺跡と刻まれた石碑があります。  
8、三重塔(県指定文化財)
 1688(貞享(じょうきょう)五)年の建立(心柱宝珠柱の銘と棟札から)で、各層の屋根は同じ大きさ(江戸時
代中期の特徴)となり本瓦葺で、相輪(屋根上の全体)は型どおり、水煙は火焔(かえん)型である。各層四隅の尾垂木の間には邪鬼を置いている。色は各層で、異なり、下から白、緑、褐色となっている。中には本尊の金剛界大日如来像と四天王(持国天・東、、増長天・南、広目天・西、多聞天・北…覚え方はジゾウコウタ)が祀られているが、拝観する時は事前にFAXで申し込みが必要。
9、阿弥陀堂、阿弥陀如来坐像(国重文)
 現在の阿弥陀堂は、1688(貞享五)年再建された。本来は、天台宗の修法である修行堂であったが、堂の本尊である阿弥陀如来に対する信仰が高まり、阿弥陀堂として人々の礼拝の対象となった。阿弥陀如来坐像(重要文化財・鎌倉初期)は時代が150年ほど違うが宇治・平等院の定朝作(仏師系譜上の曾孫の子が運慶)のものとほぼ同じ大きさ(2,74m)で、同じ様式であります。
10、護摩堂
 江戸時代中期の建立、屋根は本瓦葺の宝形造りであり(屋根の頂上に宝珠があるので)。中には大黒天・不動明王・毘沙門天が安置されています。
 (参考)七福神とは七柱の福徳の神で、「大黒天・蛭子(えびす)・毘沙門天・弁財天・福禄寿・
寿老人・布袋(ほてい)」
11、釈迦堂
  江戸時代後期の建立、宝形造りで釈迦三尊仏(釈迦・文殊・普賢)が安置され(拝見できない)、花祭り(5月8日)などはこの堂で営まれています。
12、羅漢堂
  江戸時代後期の建立、四天王・十六羅漢・釈迦の四大弟子像(須(しゅ)菩提(ぼだい)・迦旃延(かせんねん)または舎利弗(しゃりほつ)・摩(ま)詞(か)迦葉(かしょう)・目犍連(もくけんれん))が安置され、塗組天井には多くの草花が描かれている。(震災後公開されていない)
13、観音堂(お宮さん)
  神仏分離以前は太子堂(本尊は聖徳太子)と呼ばれ、太山寺の鎮守の宮で、そこに三所権現が合祀されていて、ご神体は女神三体の木像で、傍らにある木彫二頭の狛犬と共に名作で鎌倉時代の作と推定される。その社前に三好長慶(ながよし)(戦国時代の武将1549年)寄進の石燈籠があります。
14、奥の院
  閼伽井(あかい)橋(仏に備える水の意味?)の川向こうに稲荷舎と地蔵堂がある、地蔵堂の下から霊水が出ていてこの場所はそれを汲む閼伽井となっていた。霊水は眼病に効くといっていたが今は出ない。
15、太山寺その他
  ① 境内の紅葉の老木は何時頃のものか
   大正3年です(100年近く前)
  ② 太山寺の位置づけとは
   栄えた時(南北朝時代)は41坊もあった、現在は4坊を残すのみとなった。
   明石から大蔵谷を通って太山寺に来たり、垂水の転法輪寺から来ていた記録がある。
   須磨との繋がりは残っていない
16、太山寺歳時記
  1月7日(午後2時~4時頃)・・・追儺会 
   国宝の本堂前に於いて1月1日より7日まで行なわれる修正会の結願として走り鬼と3匹の太郎鬼、次郎鬼、婆々鬼が松明を持ち、太鼓の音に合わせて踊り、悪霊を退治します。安土・桃山時代より伝わる伝統行事です。
   また、太郎鬼の面は運慶の作とも伝えられ、比叡山延暦寺にある鬼面は太山寺の複製との事である1、
「鬼追い式」は何時頃からか・・・明治時代の写真がある、江戸の後期と思われる。面の裏には何も書いてない。また運慶の作とは自伝であり証拠なし
 5月8日・・・花祭り
   月遅れのお釈迦様お誕生日のおまつりです。
また11時より護摩堂前で採燈大護摩を焚き世界平和を祈願します。
  5月12日(午後2時~3時半頃)・・・練供養
   私たちが「死」に至ったとき、阿弥陀様が西方浄土から二十五の菩薩をつれてお迎え下さるという、いにしえの語り伝えを現した行事で、僧侶、稚児と行列をつくってお経をよみ、仏讃歌を唱えてお練りをする珍しい法要です。
正式には、「二十五菩薩聖衆来迎引摂会」といいます。  
17、石戸神社
この地では有名な、太山寺(天台宗」の古刹)が約1km東にあり、当社との拘わり今はあまりないようです。当社の創建については不詳ですが、灯籠、手水鉢などには享保(きょうほう)八年(1723)、鳥居には享保十五年(1730)の刻銘があり、これ以前の創始ですが、この他に、一月一日の「ハナフリ」の祭り神事がありますが、五穀豊穣を祈願するお祭りで、天正十九年(1591)からの記録が残っているそうです。
当社の西には、昔、太山寺から明石城に水を引いた、掘割疎水の取水口があり(未確認)、石堂丸の伝説(平安時代の後期の話)が残っています。この関係の伝説は高野山にもあります。(第二側室だった千里は加藤家より播磨の国の大山寺に逃れ、観海上人に身を寄せ、やがて男子を産みました。これが石堂丸です)
筑紫(九州)で姿を消した「加藤左衛門」を探しに来た妻が、この太山寺に至ったとき、産気づいて男の子を生み、この子が石堂丸と伝えられており、母子はここから父の左衛門を探したずねて、紀州「高野の山」に旅たったそうで、この事から、この神社は石戸神社と名づけられたそうです。
この地には、石堂丸産湯の井戸があり、子孫といわれる、石戸家があり、庭には「石
堂丸誕生」の石碑があります。
このお宮さんは、素戔烏太神(すさのおのみことたいじん)を祀っています。
18、その他
 ① 御製(ぎょせい)
   「大いなる 地震(ない)ゆりしより 十年(ととせ)余(ま)り 立ち直りし町に 国体開く」 
  平成18年末兵庫国体で天皇陛下が詠われた
②ユニバーシヤード神戸大会 
昭和60年8月24日開催 記念碑に優勝者の名前あり。

# by ssgyoshi | 2011-09-02 09:33 | ボランンティア | Trackback | Comments(0)

大塚美術館見学 平成23年7月22日(金)

                                   平成23年7月23日
               大塚国際美術館 見聞記
                                     チョーサン 
 7月22日(金)ひょうご創生塾神戸交流会のイベント(夢野中学校生徒と合同の県民バス)に参加し、四国徳島県の大塚国際美術館を見学した。そこで待望の世界の絵画に接する事が出来、今の自分の絵に対する考えを綴ってみた。
 この美術館は世界の有名絵画1,000点余りを陶板に焼き付けし、大きさも絵も本物そっくりに仕上げ、額縁もそれに近いものとした画期的な展示会場である。11時20分から40分間会場のガイドをして頂き、昼食後15時30分まで自由に会場を散策する事が出来た。
私も今年3月にフランスのパリを旅し、ルーブル美術館などを見物しながら有名な絵画に接するチャンスがあって、絵に対する関心が高まっている時であった。特に今回は主催者の計らいで事前にバスの中で「当館の美術館ガイド他」の資料を頂き、予備知識を得ながらの見学となった。
まず、第一にルーブル美術館などでゆっくり見れなかった幾つもの有名絵画(モナリザ等)に釘付けとなり、時間を掛けて鑑賞する事が出来た。これらはまだ記憶(パリ)に新しく、当時の解説を思い出しながらの鑑賞となった。今回の見学で再発見したものは幾つかあったが。中でもモネの作品(パリのオランジュリー美術館の睡蓮の壁画)は印象深かった。大塚美術館では屋外で外側に睡蓮を育て雰囲気を出そうとしているが、中からその壁画を見た時に周囲の草や雑多が見えて、折角の絵に集中できなかった。でもこの絵はパリのオランジュリー美術館(2室)の奥の部分のものであり、朝・昼・夕・夜の光りの変化を巧みに描いている。部分的に蓮をきれいに描いているわけでもないが、離れて見ると柳の揺れ具合といい、光が動いているように感じられる。時間的な変化は私にも読み取れそうだが、作品の技法はさっぱりわからず次回に持ち越しとなった。モナリザについてはルーブルでは遠くから見ただけで何にも感じなかったが、今回はゆっくり観察できた、バックの橋など書き込んでいるもの、目の特異性(どこから見てもこちらを見ている?)や微笑みの表情は確かに何かが違う・・・。しかしこれらの表現技術はさっぱり解らない。
また、第2として今回は特別にフエルメールの「青いターバンの少女」に会う事が出来、あの大きな目で見つめられてしまった。絵の方はバックの色使いが上手く、顔を大きく印象的に見せていた。すべてがこんな調子だった。
第3としては今回ご一緒した夢野中学生が文化祭目指してピカソの壁画「ゲルニカ」の模写に挑戦するという事で我々も関心を持つはめになった。この絵は20世紀の最も重要な作品の一つと言われ、スペインのゲルニカの町に対するナチスドイツの無差別爆撃に衝撃を受けたピカソがパリの万国博にスペイン政府館の壁画としてわずか1ヶ月で制作したもので、時代の暴力と悲劇に毅然として抗議を表明した人間の記録である。この絵はモノクロで描かれている、これはピカソが当時の新聞(モノクロ)を見て衝撃を受けたそのままを表現しょうとしたものらしい。ピカソに限らず現代の絵は見ただけでは何を描いているのかさっぱりわからない、しかしその絵の裏に何か作者の求めるものがある。それを鑑賞する人にどんな事でもいいから想像し理解してほしいと言っているようである。ところでこのピカソの絵ですが、彼は三次元の立体像を目指し工夫している、絵は特異質であるが現代の抽象絵画から見ればものが何であるかは解り易い、ただ何が言いたいのかは解説が必要である。
最後に、今回の見学では多くのものを吸収出来たと思う、この大塚国際美術館は素晴らしい所です、生徒達や日本の皆さんがここで世界の多くの絵画に接し、そして世界の本物に会いに行かれる事がどんなにか素晴らしい事と思う。私自身は、まだまだ絵の見方は分からないが、今回の見学で絵に対するモチベーションをアップする事が出来た。連れて来ていただいた皆さんに感謝し、自分自身の今後に期待したい。
                                おわり

追記:今回は世界絵画の歴史的な流れと日本の芸術との関わりを少し考えてみた。日本の仏像などは本来信仰の対象であるが、仏教や神道に帰依していない者にとっても美術品として価値を有している。これらは古代ギリシャ等でも神殿にさまざまな奉納品が蓄積され、それらが美術館の始まりとなっている。外国のルネッサンス以降は神中心の中世文化から人間中心の近代文化に転換している、日本の絵画も仏像絵画から絵巻物、そして日本画(襖絵等)・浮世絵と変化している。日本の浮世絵がモネの絵に影響を与えたか?との話もあり、日本は独自の発展をしている。しかし外国の印象派の活躍は目覚ましいものがあった。

# by ssgyoshi | 2011-09-01 15:47 | 日々の感動 | Trackback | Comments(0)

歴史を通じての須磨のまちおこし

 平成15年に発足した須磨の歴史の倶楽部に最初から入会しボランティア活動を行っている。

# by ssgyoshi | 2011-09-01 15:37 | ボランンティア | Trackback | Comments(0)

ふるさとひょうご創生塾(2年間)で学ぶ

 平成19年4月~平成21年3月まで、兵庫県の地域リーダー養成を目的の塾で学びました。
 最初の1年は主に教室での一般学習ですが、2年目は実践活動に入ります。
# by ssgyoshi | 2011-09-01 15:21 | 学習 | Trackback | Comments(0)

神戸シルバーカレッジ (3年間)で学ぶ

 会社退職後すぐ神戸シルバーカレッジ(老人大学)で学び第2の人生をスタートさせた。国際コース第10期として、授業は元よりクラブ活動他に専念し、楽しい3年間を送りました。
 3年生の時のグループ学習は「モルディブ」よ、海に沈まないで!(地球温暖化)をテーマに学習しました。
# by ssgyoshi | 2011-09-01 15:14 | 学習 | Trackback | Comments(0)

フランスの旅 平成23年3月28日~4月4日

 歴史感は元より絵画、特にオランジュリー美術館の「モネの壁画」に感動して来ました。
# by ssgyoshi | 2011-08-31 18:27 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

北欧四ヶ国の旅 平成22年6月5日~12日

ちょうど一番日の長い時でした、その実体験と歴史やフイヨルドの自然が見ものでした。

# by ssgyoshi | 2011-08-31 18:21 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

冬の北海道 平成22年2月7日~9日

 念願の「札幌雪まつり」に行ってきました。
# by ssgyoshi | 2011-08-31 18:15 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

スイスの旅 平成21年6月19日~26日

 環境整備され、大自然を守っている。
# by ssgyoshi | 2011-08-31 18:12 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

トルコ 平成20年

 親日の国トルコ、歴史も大いに勉強して来れました。
# by ssgyoshi | 2011-08-31 18:09 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

四万十川 平成19年11月8日~9日

 公害の無い四万十川、そして四国の自然と歴史に触れました。

# by ssgyoshi | 2011-08-31 18:07 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

カナダ 平成19年9月28日~10月6日

北の大自然を満喫、オーロラは今回は行かなかった。
# by ssgyoshi | 2011-08-31 18:05 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

東北ツアー 平成19年6月27日~29日

 東野・十和田湖・奥入瀬など初めての所が多かった
# by ssgyoshi | 2011-08-31 18:02 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

皇居のボランティア 平成19年4月9日~14日

 天皇皇后両陛下並びに皇太子殿下とご対面。ふるさとの笹川部落に昔から伝わるこの行事に、神戸シルバーカレッジの団体として参加できました。
# by ssgyoshi | 2011-08-31 17:58 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

オーストリア・ドイツ 平成18年6月

 音楽のメッカオーストリアを中心に散策

# by ssgyoshi | 2011-08-31 17:52 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

屋久島 平成17年

 千年杉と原生林に圧倒される、次は屋久島杉をぜひ見たい
# by ssgyoshi | 2011-08-31 17:50 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

中国(桂林) 平成17年

 二度目の中国、今回は東山魁夷の絵の場所「桂林」をねらった
# by ssgyoshi | 2011-08-31 17:47 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

モルデイブ・マレーシア・タイ 平成17年

 神戸シルバーカレッジのグループ活動「地球温暖化」の研修旅行
# by ssgyoshi | 2011-08-31 17:43 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

シンガポール・タイ 平成16年12月6日~11日

 神戸シルバーカレッジ英語クラブの研修旅行

# by ssgyoshi | 2011-08-31 17:39 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)

ニュージランド 平成16年10月26日~31日

 初めての氷河、自然の宝庫

# by ssgyoshi | 2011-08-31 17:36 | 旅の記録 | Trackback | Comments(0)
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私の生まれ故郷は富山県の片田舎(朝日町笹川)です


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